光あり
昏き心も朝倉の
無量の寺に詣でてみれば
無量寺縁起
当山は、白鳳年間、斉明天皇伊予僥倖の際のお伴の僧侶、無量上人により、浅地車無寺 ( くるまんじ ) の地に開創。
開創当時は三論宗で、後に真言宗醍醐派に改め本日に至る。
当山第二世、宥量上人は伊予の領主河野玉輿公の御子で、その縁により以来当山は河野家の祈願寺になる。
天正年間には、宥実上人は龍門山城主、武田信勝公の外護を得て当山を現在の地に移転。又、上人は天正十年、龍門山落城、信勝討ち死にの時、その子、富若丸(当時十六歳)を当寺に隠潜させ、約十年間養育し、ついに天領の大庄屋職に就かせる。代々の庄屋の記録は『無量寺文書』または、『武田家文書』とも呼ばれ、現在無量寺に残る。
大しだれ桜 を伐木いたしました
無量寺の「大しだれ桜」毎年春に素晴らしい花を咲かせてきましたが、20年程より「根株腐朽菌」に蝕まれて、倒木の危険性もある事からこの度、伐木をいたしました。
私も残念ですが、境内には新しく醍醐寺からいただいた桜や、「大しだれ桜」から接ぎ木で育てた後継の桜、併せて7本のしだれ桜を植えております。月日が重なる毎にどんどん大きくなる美しくなる姿を一年一年楽しみにしてください。
本尊 阿弥陀如来
真言・おんあみりたていぜいからうん
本尊、阿弥陀如来は秘仏で、聖徳太子、一刀三礼の御作と伝えられています。
梵名はアミターバ(अमिताभ, Amitābha)といい、それを中国で漢字‐阿弥陀と音写されました。また梵名のアミターバは「量りしれない光」を意味し、その訳意をもって無量光如来(無量寿如来)とも呼ばれます。
ですので、「無量の光があるお寺」という意で、当山は「無量寺」と名付けられました。
脇侍
右/毘沙門天
左/吉祥天
真言・おんべいしらまんだやそわか
・おんまかしりあえいそわか
脇侍とは中心の仏さま(本尊・阿弥陀如来)の左右にいらっしゃる仏様のことです。
右/毘沙門天は、インドにおいて財宝神、日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、また勝負事に利益ありとして崇められています。
左/吉祥天は、繁栄や幸運を司り、幸福・美・富や五穀豊穣でも崇拝されています。
毘沙門天と吉祥天は夫婦として祀られており、良縁成就・縁結び・家庭円満の功徳があります。
瑠璃観音
四国三十三観音霊場 二十三番の観音様
瑠璃観音は、手に瑠璃の香炉を持ち、水面に浮く蓮の花びらに乗っている観音様です。また、瑠璃とは地球を意味し、瑠璃観音が、日天神・月天神と祀られるのは、大地(地球)と月と太陽の巡りを表す姿です。四季の移ろいや、天体の動きの雄大さに気づかせていただける仏さまでもあります。